うっとーしー!!

最近、娘Kちゃんに言われた言葉です。

 

いろいろありまして、彼女は反抗期真っ最中。

親もお手上げという状態が続いています。

 

今週はほっておくことにしようと決めていたのですが、本当に態度の一つ一つにいちいち腹が立ってしまいます。

昨日は私が我慢できず彼女に詰め寄ってしまいました。とことんまで行くしかないと。

 

「うっとーしー!!」と一緒に、「何にも知らんくせに!!」とも言われました。じゃあ言ってよ。って言ってみましたが、「言いたくない!!」とのこと。ますます、こじれるばかりです。

 

先生は知ってるの?友達には話したの?学校のことなの?家のことなの?お父さんのこと?お母さんのこと?

いろいろ聞いてみましたが、目を合わせることもなく、無反応。

 

何周か同じことを私が繰り返したら、本当にうっとーしくなったのでしょう。「友達には言ってる。」と、ボソっと言いました。本音を話せる友達がいて、まず、ホッとしました。

その次に、「私のことをうっとーしーって思ってるんやろ?」と、Kちゃん。

「思ってないよ。」と、私。「嘘。さっき言ってたやん!!お父さんだって私にそう言った!!」と。

 

態度の悪いKちゃんに、確かに言いました。「もぉ、うっとーしーわ!空気が悪くなる。」と。

同じように、お父さんにも言われたようです。

両親が同じことを言ったのなら、その時の彼女は「うっとーしー」だったのでしょう。

でも、学校での努力やしんどいことを知らないで、「生活態度がなっていない!!」と叱られ、揚句に「うっとーしー」と両親に言われたことで貝のようになってしまったようです。

 

ハッとしました。

彼女が学校のことを話さないからわからないとはいえ、学校のことはできて当たり前のこと、しなければならないこと。それを偉そうに「たいへん」なんて言わせることなんてできるもんか!という前提のもとに、私は彼女と話をしようとしていたのでした。

彼女の表面的なことばかりが目について、それを指摘することに全神経を集中させ、一つも漏らすことなく注意を与えなければこの子はダメになるとばかりに、必死に攻撃をしていたようなものでした。彼女は、自分のことを否定したくなかったし、認められたいと思っていたのです。嫌われていると思うことはつらかったのです。

 

「それは、悲しかったね。悪かったね。Kちゃんのことをうっとーしーなんて思ってないよ。学校では忙しく走り回ってるんや。クラブも勉強もたいへんなんや。」と、言うと、うなずいていました。

それから、少しクラブの話を聞いたり、学校の授業のことを聞いたり。ボソボソと単語に毛が生えた程度しか話してはくれませんでしたが、こんな風に娘と話したのはずいぶん久しぶりでした。

「ごめんな。いやな思いさせたね。」と、謝りました。

 

自分が「うっとーしー」子どもだと思われていると、彼女は受け取っていたのでした。

私の正直な感想は、なーんだ。そんなことか。初歩的な勘違いやん。と、笑いだしそうでした。

そして、私自身の思春期に、同じ思いをしたことを思い出しました。

そう、私も「嫌われているいらない子だ。」と思っていた時期が確かにありました。ずっとずっと心の奥底に押し殺して重たく溜めていました。

 

今朝、私はここ何日かの中で最も気分よくKちゃんに接することができました。彼女のわだかまりがなくなったとは思っていませんが、彼女の反応は私の態度だったようです。

相手の反応は鏡だとよく言われているし、わかっているし知っているつもりだったのに、私は何にもわかっていなかったようです。

 

彼女の反応もここ数日の中では数段穏やかでした。

で、「お母さん、このお金払って。」と、部費やらスポーツ何チャラの書類を出してきました。

こんなことも言い出せないくらい、彼女は貝のようになっていたのか…。と、反省しつつも、「…高いなぁ。」と、請求金額に眉を寄せ、お金を渡しました。

 

今日は、穏やかに登校していきました。

 

帰ってきてから、どんな反応をするのか、態度も生活もそう簡単に変わるわけはないと思いますが、私の反応次第なのはわかりましたので、私の態度を軟化させていきたいと思います。

3人も子どもがいて、こんな単純で簡単こともわからないなんて、周りのことが見えていないのは私の方だなぁと、反省しました。

 

「ハクナマタタ」ライオンキングに出てくる「気楽にいこうよ♪」という意味の言葉。

 

反抗期は難しい年頃ですが、「ハクナマタタ」と、肩の力を抜いてKちゃんとの距離を上手にとって付き合っていこうと思います。

 

愛と感謝を込めて…

安希

 

 

思いに寄り添うスタッフ

こんにちは。

大阪も梅雨入りしたようですね。

さて、今日もご葬儀をさせていただきました。

 

弊社は電話でご予約を頂戴しております。メールだとご家族様の状況やご要望にあったご葬儀を提案しにくいからです。

そして、お時間お日にちはもちろん、その他のこともご要望にお応えできるようにできるだけのことはします。電話だと、背景や様子もうかがうことができます。

 

ご予約を頂戴するときは、まずはペットちゃんのご家族様のご要望に最善を尽くしますが、スタッフに無理をさせては満足いくサービスを提供できませんのでそこにも注意をします。少人数で対応していかなければならないので、どうしてもスタッフには「ごめんね!!ちょっと頑張って!!」っていうことが多いです。うちのスタッフは、かなりの無理にも対応してくれるところがすごいところです。それは、私たちにとっては、お仕事の中の一つですが、ご家族様にとっては、大事な家族のための大切なかけがえのないセレモニーだとわかっているからです。本当は考えもおぼろげになるほど気力も体力も憔悴してたとしても、愛するご家族様の亡骸を抱えてご家族様が来店されたら、そんなことは吹っ飛ぶのです。その子をご家族様最高の形で送り出してあげなければならないのです。私たちはペットちゃんを見たら、ピクリとも動かない彼らからご家族様に対する感謝や大好きという思いやメッセージを受け取るのです。そして、力を彼らからもらってご葬儀をさせていただくのです。

 

今日は、まさに「ちょっと頑張って!!!!!」の連続でした。本日すべてのご葬儀を終わらせたら、椅子にへたり込んでしまうほど気力も体力も使いました。

でも、どのご家族様も「ありがとうございました。」と、言ってくださいました。その一言だけで、明日もいいお仕事しよう!!と、すがすがしく明日に向かうことができます。

 

今日、スタッフのお辞儀がとてもきれいになったなと感じました。

経営計画書を社員さんに見せた日から、経営理念の命と絆と愛と思いやりについてはより意識的になりました。電話をかけてくださったご家族様に寄り添うこと。声のトーンやイントネーションにも意識を向けるようになりました。サービスや業務について、そして、今後について会社の話をスタッフとする時間が増えました。そこから半年。表面的には何にも変わっていないかもしれません。だけど、よくなっていると感じます。会社の空気が私に味方をしてくれているように感じられることがあります。

私が今からしなければならないのは、味方になってくれている空気に感謝すること。お礼として環境をきれいに整えることでしょうか。

 

…私の机の上はどんな神様も寄り付かないほど散らかっていますが…。でも、感謝の気持ちいっぱいなんです。

 

明日は、感謝をいっぱい形にしよっと!!(片づけがんばろ。の意味)

 

愛と感謝を込めて…

安希

 

 

かやぶき屋根のホールでピアノコンサート

昨日は暑い一日でした。

私は、友人と京都の奥まで行ってきました。

田んぼのど真ん中のかやぶき屋根のホールまでピアノを聴きに行ってきました。

 

都会の喧騒を離れたどこまでもどこまでも続くのどかな風景。どの場所を切り取っても絵葉書のようです。

 

風景だけでも贅沢なのに、極上のピアノデュオを聞きました。ひんやりした木の板の床に楽に座って、見つめるグランドピアノの先は緑豊かな竹林、見上げる天井はどこまでもどこまでも高くて…。ピアノの音の合間に聞こえてくるのは、鳥のさえずりと田んぼにかくれんぼしているカエルの合唱。カエルもピアノに聞き入っているのか、演奏の邪魔はしません。

 

休憩時間には、奏者の奥さま手作りのバウンドケーキと美味しいハーブティー、そして、シャンパンのように軽やかな日本酒を少し…。ご主人の英語訛りの演奏曲や作曲者の解説も楽しくて。

 

あっという間にコンサートは終わってしまいました。

帰りのお土産は、ピアノデュオ奏者のご夫婦が作られたお米を使った塩おにぎり。本当においしかったです。

 

このコンサートを小学校からの友人に誘ってもらったのですが、彼女とお出かけするのもとても久しぶりのことでした。

お互い話し出すと止まらないのは、何年前からも一緒。お互いのお母さんの質もよく似ていて、「厳しい母親よね!」っとお互い慰めあったりしていたかなぁ。

 

田舎の駅に降り立って、かやぶき屋根のホールまで行く地図をいただいたのですが、なにせ、何にも目印がありません。だからこの地図を頼りに現地までたどり着くのは至難の業でした。これは道?畔?うーん判断がつかない…。と、いう道のりです。

私たちの後ろから、同じ目的地に向かっている、私たちより少し年配の女性二人組がありました。私たちもわからない道のりなので、現地の田んぼにいる人とかに、「こっちであってますか?」とか道を確かめながら歩いているのですが、彼女は、道を聞いたら必ず、「こっちですよぉー」と、その二人組に合図をしたり、声をかけたりするのです。

全く知らない人だし、かなり距離を保ちながら歩いているので、わざわざそんなことをする必要は全くありません。「この子のこういうところが昔から魅力的なんよなぁ…。」と、うっかり惚れてしまうところでした。

 

美しい人というのは、美しい行いをする人のこと、と、聞いたことがあります。

 

自然を愛でて、その恩恵に感謝をし従事する奏者のピアノが美しくないわけがありません。

 

少し前、有名なピアニストの演奏を大きなホールに聴きに行ったことがあります。確かに繊細な音楽でしたが、何ともピリピリした会場の雰囲気に息がつまりそうでした。私も不注意だったのですが、少し紙の擦れる音を立ててしまって、ものすごく注意を受けてしまいました。

いい音楽には触れましたが、癒されたか?と聞かれたら違うかもしれません。相当疲れましたから。

 

たぶんこの音楽家のご夫婦がこの辺鄙な田舎でのコンサートをされるのは、そういうところからではないでしょうか。

コンサート後、サイン会をしてくださったのですが、演奏しているときの顔も素敵でしたが、演奏を聴きに来られたご近所の方に気さくに話しておられるときのお顔を方が本当に素敵でした。

 

スローライフに触れる時間でした。私も美しい人にならないと…。

 

愛と感謝を込めて…

安希

 

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